เข้าสู่ระบบ魔獣が落とした石片を手掛かりに、二人は北に位置する遺跡を目指す。周りはもはや開けた平原ではなく、木々が茂る林である。
鬱蒼とした木々で空が覆われ、視界が悪い。閉鎖的なその環境は人間の手が介入していないため、魔獣が住みついているようだ。
途中、何回か魔獣に襲われることもあったが、その度に二人は連携しこれを撃退していった。
ところが、その回数が十に差し迫った頃――
「だーーっ!! 流石に数が多すぎねえか!? どうなってんだ、さっきからよ!」
立て続けに魔獣に襲われ、ついに我慢できなくなったグレンが叫んだ。その赤い髪は彼の苛立ちを表すかのように見える。
「なあ、エルキュール。この辺はいつもこんな感じなのか?」
「さあ、普段は遺跡の方には行かないから分からないが……確かにこの数は異常だ。それに――」
エルキュールはつい先ほど撃退した魔獣らを見下ろした。
「遺跡に向かうにつれて、術式の刻まれた魔獣の数が増えている……これが偶然とは思えない」
「……つまりアタリってことか」
落ち着きを取り戻したグレンは倒した魔獣の素材を採取した。先ほどまで怒っていた人間とは思えないくらい抜け目がない。
平原を出発してからかなり時間がたっており、直に陽も落ち始めるだろう。
「ああ、時間はかかったがもう少しだ」
前に目を向けると木々の隙間から遺跡の石壁が見える。目的地はすぐそこだった。
エルキュールは先を行こうとしたが――
「おい、ちょっと待て。これを見ろ」
それを手で制し、グレンは足元を示した。彼に倣って足元を見ると、何か足跡のようなものが見えた。
「足跡だ、それも魔獣のものじゃない……人の足跡だぜ、これは」
こんなところに人間の足跡が残っている事実。それはエルキュールにある想像をもたらした。
「術式の魔獣が大量にいるだけでなく人型の足跡まで……いよいよ怪しくなってきたな……慎重に進もう」
この先にアマルティアに繋がる手掛かりがあるかもしれない。二人を気を引き締めて遺跡への道を目指した。
木々に囲まれた林を抜けると開けた空間に出た。それまでは木の間に隠れ一部しか見えていなかった遺跡の全貌も露わになっている。その石の外壁は、ところどころ崩落したり損傷していたりする箇所があり、苔も生えている。そして――
「……おい、あれを見てみろよ」
グレンが小声で示した先には遺跡の入り口がある。石畳で作られた道とその端には石柱が等間隔で並んでおり、それが遺跡内部に続いている。内部は暗いのだろう、ここからでは暗闇しか見えず中の様子は知ることはできなかった。
しかし、そんな遺跡の様子は二人にとって些末なことであった。
「見るからに怪しい奴だぜ、あのローブの野郎」
そう、遺跡よりも注目に値するものがあったのである。
頭から足先まで隠す白いローブをまとった人影が一人、遺跡の入り口前に立っていた。
遺跡が好きで研究する人間もいるだろうが、ここまで来る程度の物好きの考古学者にしては服装が奇抜すぎだ。その上それらしき道具も手にしておらず、はっきり言って怪しさを絵に描いたような人物といえる。
「……おい、中に入っていくぞ……どうする、ここは慎重に後をつけるか――」
白ローブの人物が遺跡内部に入るや否や、そうエルキュールに提案しグレンは彼のほうを見るが、その動きがふと止まった。
「――――」
「……? どうかしたか? そんな怖い顔してよ?」
「あ……いや、何でもない。うん、そうだな。見つからないよう後に続こう。この先がアマルティアの根城である可能性が少なからずあるなら、慎重に行くべきだ」
「よし、それなら見失わないうちにいこうぜ」
グレンが先行し遺跡のほうへ向かう。
前を歩く彼がこちらの姿が見てないことを確認してから、エルキュールは自身の胸元に手を当てる。
そこは魔人のコアがある位置であった。
あのローブの人物を見たとき、エルキュールは自身のコアが疼くのを感じた。それも決していい感覚とは言えないものである。
「……この得体の知れない感覚は……一体なんだ?」
気にはなるが、分からない以上考えても仕方がない。そんなことに拘泥して、目の前に現れた手掛かりを逃すわけにはいかない。
不可解な現象に戸惑いながらも、エルキュールはグレンの後を追った。◇◆◇
遺跡の内部に入り少し奥に行くと、小さな部屋があった。そこに入ると外からの光がほとんど届かなくなり、辺りは暗闇に包まれた。
「思ってたより暗いな……エルキュール、明かりをつけてくれ」
「……はあ。俺がそうするのが当然のように言われると癪に障るが……まあ、分かった」
目を細めながら苦言を呈するが、エルキュールはすぐに意識を集中させると――
「――ライト」
光の魔素で構成された魔素質の球体を手の先に作りだした。球体は辺りをほのかに照らし、視界が徐々に明るくなってゆく。
「ハハ、ありがとな。にしても、随分手馴れてるみてえだな? 放出までの時間がかなり早い」
「そうか? 確かに、元々魔素感覚は鋭いほうではあるから、素早く魔法を放出するのは得意な方かもしれない……あと家では照明に明かりをつけるのは俺の役目だから、それもあるかな」
リゼットもアヤも朝はとことん弱い。魔人であるエルキュールは睡眠も必要としないので、自ずと明かりを灯すのは彼の役割となっていった。
「なるほどなぁ、家族と住んでるのか? そいつは微笑ましいねぇ……」
いつもの飄々とした声でグレンは言うが、その表情は今まで見た中でも一等優しい顔だった。
「……? 別に、君にだって――」
大袈裟な彼の態度に、「一緒に暮らす家族はいるだろう」と言いかけたのをエルキュールはすんでのところで飲み込んだ。
グレンの表情が微かに曇ったからというのもある。だが、それとは別にエルキュールに思うところがあった。
親子の概念がない魔人であるエルキュールにとっては、家族と呼べる人々がいるのは非常に幸運なことであるが、リーベである人間には誰しも家族がいて共に暮らしている、ずっとそれが当たり前であると考えていた。しかし、それは間違っていたのかもしれない。
直接聞いてはいないが、グレンの外見年齢は二十歳前後であり、通常なら魔法学校等の教育機関に通っていてもおかしくない年齢である。それにもかかわらず、彼はこの魔獣の危険にさらされている世界を一人で旅しているという。
深くは聞いてこなかったが、グレンが今の状態に至るまでには決して小さくはない理由があるのだろう。
エルキュールは自身の浅慮を恥じた。これも家族以外との交流経験の不足の弊害だろうか。
気のせいか、今日の自分はこんな反省ばかりしている気がする。
せっかく広い世界に触れようという気力が芽生えてきたところで、エルキュールは軽い自己嫌悪に陥り顔を俯かせた。「ったく、なーに黙りこくってんだよ。ほら、先に行こうぜ。ヌールの街の平和を守りたいんだろ?」
「あ……そうだったな。……ありがとう、グレン」
落ち込んだ空気を晴らすように、グレンは明るく振る舞う。逆に気を遣われてしまった形になる。
沈んではいられない。知らないことは知っていけばいいのだ。今までも、そうしてこの世界に適応してきたのだから。
「……この部屋には特に目立つものはないな。奥に進もう」
気を取り直し、素早く部屋を分析したエルキュールは、正面に見えていた通路に向かう。
通路に入ると、その両端の壁には特殊な模様と何か絵のようなものが描かれているのが見える。
その壁画は同様のものがいくつも描かれ、灰色の石の壁面を色とりどりに飾っている。「何だぁ、これは? 遺跡にはこんなのがたくさんあるのか?」
魔法により微かに照らされた通路を歩きながら、グレンは疑問を口にした。
「これは、古のヴェルトモンドにいた精霊を祀った遺跡にみられるものだな」
「ああー……六霊教みたいなものか? あんま詳しくねえが」
「そうだな。この遺跡はそのはしりのようなものだろう。六霊教のような体系的なものではない」
このヴェルトモンドに存在する最大の宗教、それが古の六大精霊とこの世界の万物の根源たる六属性の魔素を拝する六霊教である。この遺跡の壁の絵と似たような絵を六霊教関連の書物で目にしたことがあった。
六属性の魔素全てが互いに集約し、複雑に絡み合い、結合することで確固たる物質を形成する。それは即ち、魔素が世界を構築しているということに他ならない。
古の大精霊については、その存在を見たことがないので伝説のものだと疑ったりもするが、世界を構成する魔素は信仰に値するものだろうというのがエルキュールの持論だ。「ここの絵を見るに、この遺跡は光の大精霊ルシエルのみを崇拝するために造られたもののようだな。六霊教は六体すべての大精霊を信仰しているから、きっと六霊教が流行る以前に建てられたんだろう」
通路に描かれた絵を見ながら、エルキュールは本で得た自身の知識を披露していく。
彼の指摘通り、壁の絵にはルシエルを表したと思われる光り輝く少女だけが描かれており、他の大精霊の描写は見られなかった。「おぉー……説明ご苦労、物知りクン。そういや、あの石には光の魔鉱石が入ってたな。お前の言う通りだとしたら、あの石ころもここにあったものかも知れねえな」
「……そういうことだろう、欠片にあった模様もこの壁のものに似ている。あの兎型魔獣がこの遺跡から来たのは間違いない」
グレンが呼んだ妙なあだ名には触れまいと、毅然とした態度で懐から石片を取り出し、エルキュールは壁にある模様と欠片とのそれを照らし合わせた。
「だが、おかしくねえか? ここにはさっきから魔獣がでてくる気配はないぜ。本当にここから魔獣が移動してきたのか? 仮に、あの魔獣がここから移動して平原に来たとしても、理由がどうにも分からねえ」確かに、この遺跡に入ってから未だその姿は確認できない。ここに来るまでは嫌というほど遭遇したことを思うと、この状況は不可解に思える。
「……それはその通りだが。どっちにしろこの奥まで行けば答えがあるだろう」
通路の終点に着くと、今までで一番大きな部屋に出た。先ほどの部屋の数倍の規模である。
この部屋は二階建てになっているらしく、目の前に階段が続いているのが見える。
詳しく知ることはできなかったが、上階にはこの部屋を囲むような回廊があるようだった。「おいおい、結構な規模じゃねえか。エルキュール、ここは結構有名な遺跡なのか?」
「そうでもない。というか、遺跡に名前をつけられる事例はあまり多くない。ヴェルトモンドの遺跡はかなりの数があるからな、余程大きいものでないと……まあ、便宜上名前を付けるなら、北ヌール平原遺跡とかじゃないか?」
「ほーう、そんなもんか」
二人は会話をしながらも、広い室内を慎重に探索してゆく。正面のほうにひと際大きい通路が見えた。
「……でかいな。何か意味ありげだと思わねえか?」
「ああ。それと、この壁のあたりになにか削られた形跡がある」
エルキュールが示した通路の入り口の辺りの壁が、不自然に削られていた。さらによく見ると、その削られた箇所だけでなく通路の壁にところどころひっかき傷のようなものがあったり、床の石はほかの場所よりも汚れが目立ったりしている。
「どうやら、この通路は頻繁に出入りされているみたいだ」
「つまり、あの野郎が向かったのはこの先ってことだな?」
「その可能性が高い。上階の様子も気になるが、こちらの方を優先するべきだ」
一歩、通路に足を踏み入れる。途端に通路の奥の方から嫌な気配がするのをエルキュールは感じた。
先ほどの通路と見てくれは相違ないはずだが、通路の先にある暗闇は底知れなく、得体の知れない不気味さがあった。
胸のコアも何かに反応するが如く疼いている。――間違いない、この先に求めているものがある。
コアの疼きとアマルティアの手掛かりは関係がないように思えるが、エルキュールはある種の本能でそうだと感じていた。「……ここからは極力音を立てないように行動しよう」
「分かったぜ。確かにこの先は普通じゃねえ……」
エルキュールと同様に何かを感じたらしいグレンは緊張した面持ちで頷いた。
警戒を強め、エルキュールは手の上に浮かべていた光の球体の光度を弱めた。それに伴い、周囲の視野が周辺から黒く塗りつぶされたように狭まっていく。
暗がりの中、二人は手で壁を伝いながら足跡を立てないように歩を進める。
会話もなく黙々と通路を少し歩いたところで、先頭を行っていたエルキュールの足が止まる。
――通路の終点が見えてきたのだ。
通路の出口付近は、端の壁が内側にせり出しており、それまでの通路に比べて幅が狭まっていた。
内側にせり出た部分の影に身を隠し、二人は通路の先を覗き見る。簡潔に言うならそれは長方形の部屋だった。恐らくこの遺跡の中で最も広い部屋だと思われるほど、それまでに比べて規模の大きい空間である。
だがその広さに反し、通路からであっても部屋の全貌はある程度把握することができた。壁に等間隔に備え付けられた燭台のおかげだ。
真っ直ぐに奥に伸びた部屋の先を見れば、石か何かで作られた祭壇が鎮座している。
その部分だけ一段高いところに造られており、周りでは一際数の多い燭台が祭壇を照らしている。赤く照らされた部屋に物々しい石の祭壇。――特別な部屋であることは容易に想像がついた。
しかし、二人はそんな厳かな部屋の雰囲気に微塵も飲まれることはなかった。
――影である。部屋の奥、祭壇の方を向き上を見上げながら静かに佇む人影に二人の注意は向けられていた。
「……あれは……遺跡の前にいた人物か?」
「違いねえ。……どうやら一人みてえだな」
最小限に抑えた声量で、二人は奥の人物を観察する。グレンが言うように、その人影を除いて怪しいものはいないようだ。
「どうする、相手は一人だ……このまま一気に抑えるか?」
「待ってくれ。――よし、この辺りに魔法による罠はないようだな……」
拳を合わせ威勢のいいことを言うグレンを制止して、エルキュールは慎重に魔素感覚を研ぎ澄ました。
二人の追跡があの人物に気取られているかは置いておいても、ここが敵地であることに変わりはない。「そいつはよかったぜ。なら、さっきの兎魔獣どもにお見舞いしたあの作戦で行くぞ」
「あの作戦」とは、エルキュールのシャドースティッチからグレンの攻撃に繋げる一連の行動の事だろう。エルキュールは同意を示し――。
「ああ。それで――」
「――全く、いつまでそうしているつもりかね」
エルキュールの言葉を遮り、部屋の遥か奥から声が響いた。
光の魔術師、ジェナ・パレットとの邂逅。アマルティアの魔人ミルドレッドが引き起こしたとされる魔獣の一件。そしてそれに巻き込まれる形となった、カイル・クラークの失踪事件から四日が経過したその日、アルトニーの詰所に一本の魔動通信が入ってきた。 差出人はロベール・オスマン。このオルレーヌ全国に配置された騎士各員の頂点に立つ選りすぐりの猛者その人である。齢五十に差し掛かろうとは思えない精悍な顔つきと鍛え抜かれた岩のような肉体。毅然とした態度で部下を指揮するその姿に部下からの信頼は厚く、密かに熱狂的なファンもついているという噂だ。 だが、傑物とすら謳われるその御仁からの直々の連絡、その内容というのは誰もが思いもしないものであった。『エルキュール・ラングレーという青年と話がしたい』 取次ぎに来たカーティス隊長からそんな伝言を受けたとき、月並みな表現にはなるがエルキュールは心底驚いていた。 王都に向かおうと準備を進めていた只中の連絡であるのもそうだが、そんな時宜に適った偶然性だけではない。 片や全国の騎士を束ねる大人物。片や人の目を避けながら生活する、表向きは単なる平凡な青年。 圧倒的な立場の違い。その中にいる両者に接点が生じるなど微塵にも考えていなかったというのが主たる理由だった。 しかもこの通信は公的な理由ではなく、あくまでもロベールの個人的な用件のために行われたのだという。 焦らずにはいられなかった。 ただでさえ最近は魔人である身でありながら、堂々と動きすぎたと反省していたところだったのだ。 その正体が明るみになってしまったのではないかと思うと、気が気ではなかった。 通信機を持つエルキュールの手は震え、体内の魔素が嫌に活発になっているのを感じていた。 だがそれを表に出すほどエルキュールも柔ではない。大事なのは平静を装うこと。十年に及ぶ生活で培った図太さを十全に発揮して、ロベールとの通話に臨んだ。「……はい、エルキュールですが」「ああ。お初にお目にかかる、オルレーヌ騎士団団長のロベール・オスマンだ……済まないね、突然無理を言ってしまって。しかし、どうしても君に話しておかなければならないことがあってな」 低く、微かに濁りが混じった声色。しかし、決して老いぼれているという印象はなく、どちらかと言えばくすんだ銀のような渋く、味わい深いものであると感
彼のヌール事件から八日が経ったセレの月・11日のこと。破壊された街を復興しようとする計画が開始され、それに先駆けて郊外の空き地には仮設住宅が設置されていた。 事件当時ヌールの外にいた住人、そして襲撃から逃げ延びた住人、それまで各地で難民生活を送っていた人々も、その動きに乗じて徐々にヌール跡地へと集まっている。 その何れもが、元居た住処を追われ、知人の多くを失うことになった。それでも彼らはその地で再会できたことを喜び、互いに街の復興に尽力しようと、青空のもとで誓いあったのだった。 ヌール復興には比較的体力のある元住民たちのほかに、王国騎士団本部からの要請で赴任した騎士が参加することになった。 先んじて行われたのは具体的な被害状況の確認。一見して全ての住宅が崩壊しているということもなく、細かく見ていけば生活に使えそうな物資がそのまま残っているかもしれないという希望があった。 念のため騎士連中が跡地内に魔獣の残党がいないかどうか魔素を探り、崩落の危険がないと分かったうえで、有志の住人たちは廃墟と化したヌールを探索することになった。 一連の動きは迅速で、元住民たちは我先へと内部へ入っていった。近くにいた騎士たちも、探索における危機はないとはいえその住民たちの勢いに注意の声を飛ばす。 ずっと帰りたかった場所がもう目の前にあるのだから、そんな簡単に止まるわけもない。 暫くしないうちに、その場にはお揃いの薄紫の髪が映える二人の女性のみが残された。 一人は物腰柔らかな壮年の女性。もう一人は利発な雰囲気を醸す少女。身体的特徴から母娘だと推測できる彼女たちは、先ほどまでここに集っていた元住民たちの一員であった。 だがどういう訳か、その脚は先へと進む素振りを見せず、何か焦っているようにも取れる表情で辺りを見回すばかりである。「……失礼、見たところあなた方もヌールの人間のようですが……中には行かれないのでしょうか? もし中の様子が心配でしたら、私が付き添うこともできますが」 これを不思議に思った騎士連中のうちの一人が彼女たちに尋ねる。少し圧倒されてしまうほどの長身と、人当たりの良い爽やかな笑みが印象的な青年だった。 対する母娘はまさか声をかけられるとは思っていなかったのか、動きを固くした。だが相手はどこからどう見ても一般の騎士である。そのことを認めた女性はすぐ
カーティス隊長とエルキュールらとの会合はそれからつつがなく終わりを迎えた。と言ってもあの話題以降のエルキュールは全くと言っていいほど頭が働かず、その内容の記憶もどこか朧気であった。 最低限の情報として、カーティス隊長が王都の騎士へ橋渡しをしてくれ、迎えを手配してくれること。その間エルキュールたちはこのアルトニーに滞在しなければならないことは、念のためグレンとジェナに確認を取ったが。 会合を終えたカーティス隊長はすぐにでも騎士団本部と連絡をしたいとのことで、一足先に詰所へと戻っていった。 何の偶然か泊っている宿が同じであったジェナとは、各々の部屋で別れるまで帰りを共にした。そのジェナも、相部屋であるグレンも、揃ってエルキュールを心配してくれていたのを覚えているが、エルキュールにはどうにも上手く返せた自信がなかった。 まるで意識に靄がかかってしまったかのような酩酊感の中。時間が過ぎゆく感覚すらも忘れ、気付けばエルキュールは暗くなった室内でベッドに寝転がっていた。 隣のベッドにいるグレンの煩いいびきが、鈍麻したエルキュールの意識にさざ波を立たせてくれたのだろうか。 それとも夜に混じる闇の魔素に、魔人としての本能が刺激されたのか。 光に群がる虫のように、もしくは糸で操られる人形のように。エルキュールの身体は無意識のうちに、暗闇に閉ざされた街へ誘われていた。 アルトニーの夜風に交じって舞う闇の魔素、空気中に含まれるそれを、エルキュールはやけに敏感に感じ取っていた。振り返れば今日は随分と力を消耗した、その反動で身体を形作る魔素質が反応しているのだろうとエルキュールは思った。 疲弊した身体には夜の散歩が丁度良い。エルキュールのコアも魔素質も、闇属性の魔素を中心に形成されているので、意図して魔素を吸収をしなくても闇の魔素を浴びることができるのだ。 欠乏したものが満たされていく感覚は心地よく、人の世界に生きる魔人にとって何より貴重なものだ。身体だけでなく精神もまた安らいだように感じられ、エルキュールの足取りも徐々に軽くなる。「……あ」 そうして黒く染まる道を闊歩していた足がふと止まる。今朝――ひょっとすると昨日の朝かもしれない――通り過ぎたアルトニーの広場、そこにはかつてのヌールと同じく魔動鏡が鎮座していた。 もちろん広場なのだから魔動鏡があるのは当たり
会合の約束を取り付けたエルキュールは、すぐさまクラーク一家と歓談していたジェナも来るように誘った。 当の本人は快諾してくれたのだが、彼女に懐いているカイルとサラは難色を示し、説得するのに少し手間取ってしまった。 どういう訳か、特にカイルはジェナが離れることに殊更に抵抗しており、事の発端のエルキュールを見る目は、まるで親の仇を見るような眼つきであった。 話を聞く限りジェナとカイルたちとは共にヌールに行く約束を交わしたらしく、それが果たされぬまま別れることを惜しんでいるようだった。 ヌールの街は崩壊した。だから約束も無効となる。簡単だが残酷な論理は十にも満たない幼子には受け入れ難いようで、説得するのには苦労した。 彼らはしばらくしたら故郷であるガレアに帰るとのことで、結局のところ時を見てガレアに遊びに行くというジェナの提案で、なんとか子供たちも了承してくれたのだった。 カイルたちがここまで渋るのも偏にジェナの人徳からなのだろうが、こういう場合にはそれすら面倒を起こす種になってしまうのだと、エルキュールは難儀したのだった。 一悶着ありはしたが、カーティス隊長の案内の下、件の店までやって来た一行。木の香りが心安らげる居心地の良い内装の店だったが、この時勢からか閑古鳥が鳴いており、悲しいほどすんなりと奥の個室に案内された。 席に着くや否や各々が注文を取り始め、エルキュールも渋々それに倣った。魔人である彼は食事を採らないためだ。 動力源となる魔素はもちろん料理にも含まれているが、そこに含まれる魔素の属性はまちまちな上効率もすこぶる悪い。 家族と同じ時間を共有するために、口に入れた料理を魔素に分解するという技能を身につけこそしたが、家族以外の人間、しかも複数人で揃って食事をするのは彼にとって中々心理的負担が重い行為だといえよう。 詰まるところ、食事を採りながらの会合を認めたとはいえ、エルキュールはこの食事会に対して消極的であった。 結局、エルキュールはお腹がすいていないという理由で簡単なサラダとスープを注文するに留めた。 共に食事をしたことのあるグレンはともかく、ジェナやカーティス隊長には疑問に思われることを覚悟していたのだが、それも杞憂だったようだ。 カーティス隊長からは「私も年なのか最近は食が細くなってしまいましてねぇ」などと共感を受けた。ある
アルトニーの森を脱したエルキュールとジェナが騎士団詰所に帰還したのは、もうすっかり陽が落ちてしまった頃であった。 詰所に先に逃げ延びていたグレンとカイル、未だ帰ってこないジェナたちを心配するクラーク一家は、二人の無事に大いに喜んだ。 クラーク夫妻は腰を痛めるのではないかと心配するほどエルキュールらに頭を下げていたし、ずっと不安と緊張を抱えていただろうサラは大声で泣きだす始末。事件の渦中にいたカイルは自分のした行いを猛省し、そんな妹に申し訳なさそうに何度も謝っていた。 それぞれが思い思いに感情を爆発させる様に、エルキュールはもちろんのことジェナやグレンも若干押され気味だった。 それに追い打ちをかけるが如く、遠くから騒ぎを駆け付けた騎士連中までもがその人の渦の中になだれ込んできた。 一兵卒の過失によるこの事件に責任を感じていたアルトニー騎士たち。もちろん全員ではないがカーティス隊長を筆頭に数人が集い、事件解決に動いてくれたエルキュール、グレン、ジェナの三名に丁寧な陳謝と賞賛を送った。 ここまで事が大きくなるとは思っていなかったエルキュールは、正直いって多くの人間に囲まれるというこの状況から逃げ出したくあったのだが。 彼の弱気に目聡く気付いたジェナとグレンによってそれも阻まれ、むしろかえって二人からの揶揄いを受けることになったのだった。 詰所内はまるで祭りでも催されているのかという程の賑わいを見せていたのだが、やはり勢いというのは時が立てば落ち着くもので、次第にそのほとぼりも冷めていった。 先ほどエルキュールらにお礼を述べてきた騎士などは、この時間になってもなお仕事に追われているらしく、早々とそれぞれ持ち場に戻っていった。 この街が抱えている問題は依然としてあることを再認識させられるが、とにかくこれからの展望について語るのなら、今が絶好の機会だろう。 疲弊した精神を癒すべく、集団から離れていたところで暫しの休憩していたエルキュールは、場の空気が落ち着いていくのを感じながら決意した。 王都へ至る道にグレンのほかにジェナが加わった。まずはそのことを知らせようと赤髪の彼を探す。 こういう時、背の高さは素晴らしいものだなと思う。部屋の隅の方でカーティス隊長と話しているグレンの姿を容易に確認できた。「そういえば、グレンの家はあのブラッドフォードだったな
「分かりやすいように、君が話してくれたことと照らし合わせて話すとしようか」 これから話すことの全容を知っているのは、エルキュール自身を除けばもはやグレンくらいしかいないだろう。あまり自分のことは周囲に語らないように心掛けてきたので、いざ核心に迫る部分を自ら曝け出すとなると緊張が抑えられなかった。「まず、そうだな。君が言っていたという黒づくめの男だが……あれは恐らく俺のことだ」「ん? え……? えぇぇええー!!?」 ジェナの叫びが木々を突き抜けこだまする。確かに今のは突拍子もない発言だった。訂正し、順序だてて補足する。「その、俺は元々家族とヌールの方に住んでいたんだ。そこで魔獣を狩り、そこから採れた素材を家計の足しにしていた。君が聞いたのは恐らくそのことだろう」「あー、そっか。確かにそうかもしれないけど……って、え? ヌールに住んでいたってことは――」 過去形の表現。もしくはそうでなくてもエルキュールが言ったことがどういう意味を持つか、ジェナには容易に知れたかもしれない。「……あの事件の日。魔獣の大量発生の知らせを受け、念のために俺はある組織について調べてみることにしたんだ」「アマルティア、だね」「そう。結果としてヌール近辺の平原で彼らの痕跡を見つけたが、それは意味を為さなかった。陽動にまんまと嵌り、何とか追いついたころには、彼らが魔獣を操って街を攻撃し始めた後だった」 感情の色を乗せず、淡々と語る。本題でもないところなのでさっさと流したいという思惑からだったのだが、聞いているジェナの表情は悲痛に溢れていた。 とはいえ既に飲み込んだこと。要らぬ感傷を与えないように、言葉を矢継ぎ早に繰り出す。「動機は不明だが、アマルティアは人間を汚染する他にも、俺という存在を仲間に引き入れたかったようだった。そんな勝手な都合のために、不幸にも無関係だったヌールの街が巻き込まれた」「……まるであなたにも非があるみたいな言い方だね」 それは実際そうだろうと、言いかけた口を噤む。ジェナは責めているのではなく、暗にそれを否定しているからだろうというのが理解できたからだ。自身がどう捉えるかは勝手だが、その健気な思いは無下にはしたくなかった。「それはどうだろうな。けど俺は、俺の大切なものを傷つけたアマルティアを許せなかったし、無力な自分にも嫌気がさした。だから一人
遺跡の祭壇部屋の前にて、グレンの提案に同意しようとしたエルキュールの言葉を奥から発せられた声が遮った。 奥にいるのはあの人影のみ。つまり、あの人物がエルキュールらに向けて言葉を発したことは明白だった。 動きを悟られないよう十分な距離をとっていたつもりだったが、こちらの動きが知られていたらしい。 突然声をかけられたことで声を発しそうになるが、二人は何とか息を殺し相手への警戒を強めた。「ふむ、静観……か。――悪くない選択だ。尾行の腕前はもう少し磨いた方がいいと思うがね」 ローブを纏っているので外見を知ることはできないが、声質は男性のもののようだ。低く力強い声に硬い口調、そのいずれもが
グレンの宿代を賄うため、二人は平原を歩き魔獣を探していた。ヌールの門付近から移動して少し経った頃だが、辺りを見回しても魔獣の影すら見えない。 魔獣がいなくては換金用の素材も手に入らない。思うようにいかない状況に、グレンは苛立ちを隠せなかった。「この辺にはいねえみたいだな……ったく、普段は魔獣なんてそこら中に湧いてやがるってのに」「ここ一帯の魔獣は、既に俺が討伐してしまったからな……」 エルキュールは毎日の日課として魔獣を狩っているが、今回はそのことが仇になってしまったようだ。「クソ……この調子じゃ結構時間がかかりそうだな……ん? お、そうだ――」 怠そうに愚痴を吐いていたグレン
「よう相棒、二時間ぶりくらいか?」 隣町のニースまで買い物に行くという家族と別れた後、待ち合わせ場所のヌール広場に到着したエルキュールに、声がかけられた。 広場の長椅子の背もたれに寄りかかっていた身体を起こし、グレンはエルキュールに歩み寄る。「相棒……? 俺と君はそこまで親密な仲だったか?」 出会って間もないはずだが過剰に親しげに声をかけたグレンに、エルキュールは余所行きの固い態度で返す。「とはいってもなあ……こっちはまだお前の名前を知らねえんだ。オレがせっかく名乗ってやったのに……つれない奴だ」「……エルキュールだ。確かに名乗らなかったのはこちらが悪かった、謝ろう。ところで魔獣
ただ素材の換金に来ただけのはずだったが、妙なことになってしまった。 当初の目的といえば、ただ魔獣の素材を換金しリゼットたちの買い物に役立ててもらうことだったが――「そうだな……マクダウェル家のメイドとして雇ってやってもいいな」「ルイス様、いきなり何をおっしゃっているのですか!?」「フン、別に構わんだろう? ……ああ、能力の事なら心配ないさ。教育を施せばな」「いえ、そういうわけでは……」 どういうことかエルキュールの目の前では、アヤが先客の貴族の青年ルイスにおかしな勧誘をされている。 ルイスに会うのはこれが初めてだったが、彼が口にしたマクダウェルの家名には兼ねてから聞き覚えがあ